2004年8月17日火曜日

蘭州之旅-炳霊寺石窟



蘭州という町は西安からさらに西に電車で7・8時間ほど行ったところにある、黄河沿いの工業都市である。甘粛省の省都だけに街中は非常に栄えている。ビルが立ち並び、デパートには人が群がる。典型的な中国の地方都市だ。ただ、木々のまばらな郊外の山々には植物のためにスプリンクラーで水が撒かれており、雨の少ないシルクロードにやってきたことを実感させられた。
蘭州からシルクロードの旅を始めたのは、NHKのシルクロードにも紹介された炳霊寺石窟というものを見たいがためであった。僕は、蘭州西バスターミナルから劉家峡行きのバスに飛び乗り、炳霊寺を目指した。
中国に来て、一人で初めてローカルの交通機関を使って観光に出かけた僕にとってこの蘭州からの小旅行は困難だがしかし楽しいものとなった。


バスを終点で降りて、さんざん迷った挙句ようやく黄河のダム湖にできたボート乗り場にたどり着いた僕をさらに待ち構えていたのは、料金交渉という大仕事だった。炳霊寺にはここから船に乗って向かわなくてはならないのである。後には大分慣れたのだが、料金交渉に不慣れな日本人の典型である僕は、なかなか「まけてくれ」の一言が出ない。船頭のおっちゃんが「丸ごとチャーターで400元、相乗りで200元」と持ちかけると、交渉もなくつい「200元のほうで」と決めてしまった。
しばらく待つと、6人の家族が乗り込んできていざ出発することになったが、試みにいくら払ったか聞いてみると6人で400元とのこと。僕は猛然と船頭に抗議をしたが既に払ってしまったものを取り返すのは困難で、ただ首を振るだけだった。家族づれの親父さんは「君は一人で先に来たし、私たちは学生が四人で後から来たから安いんだよ」と説明してくれたがちゃんと交渉すればもう少し安くなったのはもちろんだろう。
ただ、この一件で相乗りの中国人の家族連れ‐白さん一家‐とは一気に仲良くなった。一人で旅をしている僕に興味を持ってくれたのである。特に、高校生くらいの長女と中学生くらいの次女は習いたての片言の英語でいろいろと説明を加えてくれた。


船は草一つ生えない岩山の間にできたダム湖を突っ切って快調に進んだ。憧れのシルクロードにやってきたんだ。青い空、湖、岩山、緑のない風景を眺めながら僕ははじめて総実感した。時々現れる、小さな草原と放牧された牛・馬に妙に郷愁を覚えた。炳霊寺は、そんな風景の間をダム湖からさらに少し上流に行ったところにあった。僅かな緑と、川と岩山の織り成す神秘的な風景。僕の心は躍った。


この船の上からの風景は憧れていたシルクロードそのものだった




白さん一家とともに石窟を見て回ると、どうやらジープに乗ってもう少し奥に入るらしく、干上がった川らしきところを揺られながら奥へと入っていった。そこにはこじんまりとしたチベット仏教の寺があった。


さらにチケットが要るらしい。白さんは僕の分もまとめて払ってくれた。僕が支払おうとしても、「朋友」だから、といって受け取ってくれなかった。必死で船頭に抗議する僕に哀れを催したのか、それとも、一旦仲良くなると中国人というのはそういうものなのか。


白さんの主人はまったく英語はダメだったが、僕に好意を持ってくれているのは別れ際に携帯の番号を「困ったことがあったら、遠慮なくかけてきてくれ」と渡してくれたことでもよく分かった。中国語のできない僕には役に立たないことは分かってるはずなのに。


白さんは、中国人にしては珍しく自家用車を所有していた。子供たちも英語をしゃべることからすれば結構いい教育を受けているに違いない。僕は蘭州に向かう電車の中であったいかにも貧しそうな人々のことと比較せざるを得なかった。あの電車に乗れてるだけでもなかなか裕福なのだろうな、と思っていただけに中国では貧富の差が拡大しているということを痛感させられた。ただ、金を持っているいないにかかわらず自分なりのやり方で日本からやってきた旅人に親切にしてくれるのはとてもうれしい。


チベット仏教の寺では、すっかり白さんの子供たちに混じって、果物を取ったり、僧が出してくれたお茶を頂いたりした。再度船に乗って、ダムに戻ると一家の面々は、腹が減ってないかとパンやゆで卵をくれたり、僕がどうやって蘭州の町に戻るのかを心配したりしてくれた。船で少しぼったぼったくられたのは腹が立つが、これだけいい人たちに出会えたんだからまあいいか。すっかり僕は機嫌を直していた。チベット僧も、言葉はまったくわからなかったが、遠い日本からの来訪者に感激したのか、なにかとよくしてくれた。


このチベット仏教のお寺の雰囲気も素晴らしかった




駐車場から、手を振りながら去っていく一家を見送ると、一人旅ならではの満足感と寂しさの入り混じった複雑な感情が去来した。